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日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で
水村 美苗 筑摩書房 刊 発売日 2008-11-05 オススメ度:★★★ 稀有の説得力を持つ宣伝書として読んだ 2008-11-27 「文学全集でもって教養を磨き上げ、人間性を完成させる。」こう考えていた旧世代の知識人による最後の宣伝本として読んだ。なかなか説得力がある。しかし著者の事実誤認が大きく分けて2箇所あるので、それを指摘しておきたい。 まず日本近代文学の扱いである。著者の言う通り、その成立は幸運によるところが大きいし、現代日本語の出発点でもあり美文が多い。これをしっかり教えるべきだとの意見は一理ある。しかしわたしの学生時代はネットが普及する前だが、その当時からすでに日本近代文学は読まれなくなっていた。ネットとそれに付随する英語の圧力は、以前からあった流れを加速させただけである。読まれなくなった原因は、まさにその内容にある。 現代は若者が南太平洋までスキューバダイビングをしに行く時代だ。そういう時代に日本近代文学をひも解いてみると、「親戚が連帯保証人になってくれと頼みに来て困った」などと書いてある。そういうものを読んで感銘を受けろ、と言われても困ってしまうだろう。こういう小説の作者は、欧米に留学して、自宅から大学や教師の自宅まで往復する生活を送った人たちだ。当時なら洋行帰りというだけで箔がつき、尊敬されただろうが、現代ではそんな人間は掃いて捨てるほどいる。より内実が問われる厳しい時代に入っているのだ。日本近代文学が読まれなくなっているのは、ネットや英語のせいではなく時代にそぐわないからである。なぜ日本近代文学よりも源氏物語や三国志のほうが、ネットや英語の普及に関係なく読まれ続けるのだろうか?それは時代を越えた普遍性がより強いからだ。この点を著者は見落としている。 次に理科系についてだが、「科学技術は普遍語の世界なのだから、普遍語で教育し交流すればいい」と著者は述べる。たしかに科学論文は英語で発表しないと相手にされないし、英文メールで交流しないと始まらない時代である。理系の院生ともなれば、英語のぶ厚い原書と格闘する。しかし日本の場合、その原書には翻訳本があるのである。原書を1回読み通す時間で、翻訳なら10回は読み返せる。どちらが研究者として基礎力をつけるかといえば、もちろん10回繰り返して読むほうである。 中韓の学生は自国語の翻訳がないので、原書と格闘するしかないのだそうだ。そのため英語力がつくのでプラス面は大きい。しかし日本の研究者で独創的な業績を上げる人が多いのは、母国語で勉学・研究・思考できるからだという説がある。この説はいまだ検証されていないが、先人たちが欧米の科学用語を母国語に置き換えておいてくれたことの意義は決して過小評価されるべきではない。 本書は全体として見れば鋭い指摘も散見されて一読に値するが、著者の世界観は、人文系の教養書しか読まなかった旧世代の知識人のそれである。 さらに詳しい情報はコチラ≫ [PR]画像 PR
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